クソゲーと呼ばれても世に出ればすごい

今の時代ゲームとは私たちの生活に無くてはならない存在になっている。その中で日々の生活に浸透してきつつあるのが、スマホゲームである。通勤時や休憩時間に手軽でどの年齢層でも多くのユーザーが存在している。スマホゲームの原点と考えると『パズル&ドラゴンズ』、『モンスターストライク』、最近で言うと『フェイトグランドオーダー』、『PUPG』など誰しもゲームをやっている人であれば一度は聞いたことのあるタイトル。

 日の光を浴びることのできたゲームはユーザーから気に入られ、〇〇周年記念……と行った長い年月まで続くタイトルがある。このように何年も続くゲームはとてもすごいことであるのだ。

 我々が手に取るゲームは神ゲーと呼ばれたり評価が高いゲームという言葉に弱く、それに注目していく。

一方、日の出を浴びることはないが、一部の層に人気があるゲームもあったりする。それも運営する会社がユーザーの気持ちを第一に考え、より良いゲームを作ろうと心がけているものもある。ここで勘違いして欲しくないが、じゃあ人気がないは運営が悪いと断言できないのだ。運営側はゲームに課金要素で利益を得て、新たにゲームを開発する資金を集めたりする必要がある。ただ課金要素が過剰すぎてゲーム業界からはクソゲーと呼ばれ、批判の嵐を受けているものもある。  

 このような出来事が最近ゲーム業界を騒ぎ立てている。スマホゲームというゲームデザインは基本プレイが無料と言えど、課金要素がなければゲーム会社がこのゲームを運営していけない。人気ゲームを他ゲーム会社が真似して作るゲーム……パクリゲーといわれたり、ユーザーからの集金に力を入れ過ぎたり、バグといった不具合が治らないまま放置だったりと問題はたくさん存在する。またこのゲームのシステムバランスがおかしかったり、単純に面白くなかったりしてユーザーからの人気がないことでサービス終了しているスマホゲームは数が多い。

 他にも新作のPS5やPS4などのコンシューマーゲームも厳しい状況にあるのだ。やっと発売となっても評価は低めで、すぐに廃れてしまうゲームも少なくない。日本版のゲームソフトは流血表現などの規制があったりして完成度が下がってしまうことがある。同じゲームでも海外版のゲームソフトだと規制が無かったりもする。あとはやっぱり、バグといった不具合の問題もあるのは事実である。

またゲームには様々な「ゲーム性」が存在すると思っている。「ゲームのありのままさ」や「ゲームとしての魅力」の差でユーザーの興味を示す度合いが変わってくる。ひとりひとりのユーザーが好むゲームの違いはそれぞれ。 『ゲーム性』は便利であると同時に、極めて乱暴な言葉になりゆる」と。『ゲーム性』という言葉は非常に便利であるゆえに、簡単に表せてしまうことが、ゲームの作り手側が何を伝えたいのかを感じ取ることができない。 のちにユーザーから評価されたゲームたちが、「神ゲーも神ゲーとしての魅力」はあるが、「クソゲーもクソゲーとしての欠点」を簡単な言葉で済ませてはならないと思ったのです。「神ゲー」や「クソゲー」で表すのは曖昧と言えるかもしれません。

 

 このように問題点を上げたらキリがないが、決してゲームを批判しないでくれとは言えない。ゲーム一つ開発するには莫大な資金と時間と人手が必要である。ゲーム制作にイラストや音楽といった複数のコンテンツのゲームには必要不可欠なのだ。完成度の高いゲームは知名度が上がり、後世に語り継がれるゲームになりゆるのだ。  反対に完成度の低いゲームはユーザーから批判され、炎上問題にもなるかもしれないが、考えて欲しい。どんなクソゲーでもパクリゲーでも制作し、世に出せただけでもすごいと私は思っている。一概に否定するのではなく、いろんな角度から視野を広げると面白いことや興味深い問題が見つかるかもしれない。それは誰しもが当てはまることかもしれないのだ。

ノベル&シナリオ専攻 2年 宮澤 葵