『eスポーツ選手はなぜ勉級ができるのか
トッププロゲーマーの「賢くなる力」』
著者:すいのこ
出版:株式会社小学館
2020年8月 発行
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『eスポーツ選手はなぜ勉級ができるのか
トッププロゲーマーの「賢くなる力」』
著者:すいのこ
出版:株式会社小学館
2020年8月 発行
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『「ゲーム=悪」の固定概念は古い』
今の時代は家庭の生活にはゲームは無くてはならない物になってきている。また、「ゲームなんてしないで勉強」とはどの世代にも一回くらいは親に言われたことがあると思う。
ここ数年で脳にいいゲームや家族と楽しめるゲームが登場したりもしている。現在、ゲームに対しての評価が変わりつつある中で様々な問題が直面している。
この本ではeスポーツ界隈で名を馳せたプロゲーマーのときどさん、ネフライトさん、ふぇぐさんのインタビューに経験談やaMSas(あむさ)さん、Abadanngo(あばだんご)さんとすいのこさんとの座談会が書かれている。
誰の人生でも共通で波が存在するように、彼らも苦しい極面を乗り越えて勝ち取れるほどの運と実力を持っている。著者であるすいのこさんもプロゲーマーでありつつこの本を書かれた。
タイトルにもあるように「勉強ができる、ゲームが強い人に、頭がいい人が多いのはなぜか」という、プロゲーマーたちがゲームを真剣にプレイする中で、実にたくさんのことを学んでいる。彼らは三者三様の人生を歩んだ末に、ゲームを通じて、彼らが望む“よりよい人生”を実現するために「賢くなる力」を身につけたのかもしれない。
最近の話題になっていた香川県の「ゲーム条例」に関する内容も書かれていた。「ゲームは1日1時間」という概念は各家庭内で決めることだが、なぜ条例として定めたのか。「ゲーム=悪」という結論ありきで条例を定め、条例案が可決されてしまったことは思えてならない。必要なのは科学的な根拠(エビデンス)に基づいた冷静な議論をするべきだったのだろう。いろんな感情や自分の人生では味わえない体験をさせてくれるゲームを一方的に否定するのはおかしいと思う。
ゲームが「教育」や「IT」によって世界各国が様々な取り組みがされている中で、日本では学生のeスポーツの関心が増え、一部では部活やサークルがあったりと、学生大会が開かれたりもしている。またeスポーツは『スポーツ』なのか。
日本の『スポーツ』といえば、野球やサッカーなど身体を動かす『フィジカルスポーツ』を思い浮かべるだろうが、欧米ではチェスやバックギャモンなどの『マインドスポーツ』と呼ばれている。人と人が競い合う『競技性』の要素があれば、肉体を駆使しなくてもスポーツと呼んでもいいと言われている。
そうなってくるとeスポーツがオリンビック正式種目に採用されるとなるといくつかの問題点が生じてくる。『競技性』を求めるゲームには重火器を使って人を撃つゲームが存在するが、オリンピックが“平和の祭典”であることと相反したりと、多くの対戦ゲームは数ヶ月に1度、ゲームバランスの調整などを行わなければならない。他にも多面的な問題が発生してしまう。
eスポーツは発展途上の文化であり、あまたの『フィジカルスポーツ』のように、長い歴史や伝統を持っていない。業界そのものが健全に発展し続けていくための仕組みが確立されていないのが現状。『フィジカルスポーツ』に近づいている部分もあれば、独自の発展も遂げている部分もある。同じように語るにはもう少しの時間が必要になってくる。
「ゲーム=悪」という固定概念は今だ一部の人に浸透している。それは決して悪いことではないが、ゲームというのは1つに文化であり、人間が進化していく過程の素材にもなりゆる物である。それを彼らプロゲーマーたちが証明している。
もちろん日々ゲームを楽しんでいる世界中の人たちにも言えることだ。ただ気を付けなければならないのが、ゲームだけに依存し過ぎて歯止めが利かなくなること。
そのせいで心身の成長が止まったり悪影響を及ぼしたりもする。一度しかない自分の人生をゲームにだけ費やしてしまうのは非常にもったいない。
ゲームにだけ全てを賭けるのではなく、リアルでも生き生きとゲームと自分の人生を両立できる人たちこそゲームが強い人=考える力がある人であり、真のゲームプレイヤーであると私は考えている。
ノベル&シナリオ専攻 2年 宮澤 葵