サイトウ・アキヒロ
亜細亜大学都市創造学部教授。 ファミコンの初期から株式会社任天堂を中心にゲームクリエイターとして活動を開始。CMやアニメの製作、講演も行う。 現在は「ゲームニクス」を提唱し、WEBサービスやスマートフォンアプリなど多岐にわたり実践している。
現在、亜細亜大学都市創造学部にて教授として教鞭を取っているサイトウ・アキヒロ氏。かつては任天堂のゲームディレクターとして活動していた経歴を持ち、『ファミリーコンピュータ』や『NINTENDO 64』など、様々な任天堂ハードのゲームソフトの開発に携わっていた。 サイトウ・アキヒロ氏が著書『ビジネスを変えるゲームニクス』の中で提唱したのが、人を夢中にさせるノウハウを理論として体現させた『ゲームニクス』。本誌のテーマである「メディアとしてのゲーム」に対する、一つの重要な回答となるであろうゲームニクスの核に迫るべく、サイトウ・アキヒロ氏に話を伺った。
サイトウ先生の来歴を簡単に教えてください。
私は『ファミコン』が出た頃からゲームを作っていまして、もう35年とか、40年ぐらいやっています。
残念ながら亡くなられてしまいましたが、元任天堂社長の岩田さん(と一緒に組んでゲームを作ってきました。ですが、私自身はゲームもほとんどやらないし、最初はゲームが好きでゲームを作り始めた訳じゃなかったんですよね。
任天堂に入社する前、岩田さんはプログラマーでしたが、私は当時CMディレクターで、コマーシャルを作っていました。そこそこの年齢の方ならご存知かもしれない『サントリー』のペンギンの缶ビールのCMなどをディレクションしていました。
あるきっかけで岩田さんを紹介していただいて、アニメーターの経験もあって絵が描ける私に、彼はプログラマーで絵が描けなかったので、二人でゲームを作りませんかと誘われたことがきっかけで一緒にゲームを作ることになりました。最初に作ったゲーム『F1レース』)を任天堂に見せに行ったらその場ですぐに採用をいただきました。これがゲーム業界と関わるきっかけになった出来事です。そのうちゲームブームが来て、ゲームの仕事がどんどん増えちゃって、いつの間にかゲームディレクターになっていました。
『ゲームニクスについて』
サイトウ先生はなぜ「ゲームニクス」を提唱するに至ったのでしょうか。
日本の製品はゲームのノウハウを取り入れることで、まだまだ世界に売れるものになるだろうなと思っています。特にインタラクティブなメディアは。何のマーケティングもせずに、丁寧に物を作っているだけなのに、ゲームは世界でこれだけ売れている訳ですから。
ということは日本のほかの製品、それはテレビでもいいですし、車でもいいですし、医療機器でもいいです。そういったインタラクティブなもの、ユーザーが操作して動くものであれば、このノウハウは使えるなと思いました。私はもう60になります。たいして人生残ってないので、出来ればこのノウハウを皆さんに知ってもらって、日本のものづくりに役立ててもらえればなと思い提唱しました。
これまでの日本の産業というのは全部ハードウェアで伸びていますから、車でもテレビでも家電でも。しかし例えば家電でもこれ以上大きくできない、これ以上薄くできない、これ以上綺麗にできないという、技術的な頂点に達してからは、もう下降するしかないです。ただソフトウェアというのは、まだまだ日本もこれから勝負できるはずなので、ハードウェアとソフトウェアの日本の強みを一致させれば、日本の製品はこれから伸びていけるんじゃないかと思っています。
サイトウ先生がこれにはすぐに「ゲームニクス」導入すべきと思うものはなんでしょうか。
デジタルインフォメーションが使用されている全部ですね。駅の券売機とか、図書館の図書検索であるとか、ウェブもそうですし、『Eコマース』でもそうですよね。何か画面があってそこにアクセスして、情報を得られるものすべてに導入すべきです。デパートなども今タッチセンサーにしてきています。あと今はファミレスでもタブレットで注文できるようになってきていますが、私に言わせれば全部だめですね。まだ改良の余地があります。
デジタルなインフォメーション、デジタル教科書とかは特に相性がいいと思うので教育にも導入すべきですし、とにかくすべてに応用することができます。
「ゲームニクス」が世の中にもたらす影響を教えてください。
「5G」技術が実用化されましたね。5Gになると位置情報とか、それまでの過去の履歴だとか、外部に設置されているカメラの情報であるとか、ありとあらゆる情報とリンクして皆さんの生活が、ますます快適に豊かに、安心に安全になっていくと思われます。私たちの子供のころは電話もなかったです。テレビもありませんでした。今は当たり前のように、テレビやパソコンを使ったりしますが、昔は紙とノートみたいな状況でした。
「5G」の登場で、更にありとあらゆるものが快適になっていく。面倒な手続きが必要にならない。そして知らなければ受けることできなかったサービスを知る機会が増える。こんな市役所のサービスがあるんだったら受けておけばよかったとか、こんな医療の診察がこんなに簡単にタダで受けられるとは知らなかった、なんてこともたくさんあると思います。それは情報が行き届いてないからだったり、その情報が来たとしてもアクセス方法がよくわかんなかったりといったことが、まあよくわかんないからいいやって感じになっていたからだと思います。ですがそれもすべてゲームニクスで解決できます。大体の評論家は簡単なことを難しく話してお金を取っていますが、ゲームニクスはその逆で、難しいと思われることも簡単にします。
ありとあらゆる生活が快適になると思います。ゲームニクスには年齢は関係ありません。お子様からお年寄りまで利用できます。任天堂は文字が読めないお子様もお客様なので、文字が読めなくても楽しんでもらうノウハウを持っています。「Wii」はお年寄りでも楽しんでやってくれている。つまり年齢に関係なく、それと国籍も関係なく、ありとあらゆるサービスがすべてわかりやすくなると思います。
サイトウ先生のお仕事で、ゲームニクスをゲーム以外の分野に応用した実例を教えていただきたいです。
まずゲームとは「ルールと勝利条件がある」ものです。これはテレビゲームや野球や将棋だろうが、ゲームと呼ばれているものすべてに共通しています。ゲームニクスというのはあらゆるサービスからルールと勝利条件を見つけること。そこがゲームのノウハウを他のメディアで応用するという根本的な立脚点だと思います。
私は亜細亜大学の教授をしていますが、数年前からトヨタ自動車と共同でリハビリロボットの開発も行っていました。このリハビリロボットは、事故で脳に損傷を受け、片足しか動かなくなってしまった半身麻痺の患者さんに向けに作られたロボットです。何回も歩行練習をすることで、脳の損傷した部分と違う部位が働き始めて、変わりを果たすように訓練されます。ですがその繰り返しの歩行練習が結構辛いわけです。
『ドラゴンクエスト』のレベル上げは同じことの繰り返しでも面白いわけですし、このようにゲームのノウハウを応用できないかと、トヨタさんと藤田医科大学学長の才藤栄一先生から相談を受けました。
プロジェクトを始めてまず考えたのが、リハビリの「ルールと勝利条件」はなんだろうということでした。医療奉仕の先生方と一緒に、その「ルールと勝利条件」を見つけることにまず1年間を使いました。
患者さんが歩いていても、体の平衡感覚が回復していないから、体幹を維持することができない。先生方は患者さんに体をまっすぐにして歩いていくよう指導をされていました。ということは、体がまっすぐな状態でどれだけ歩き続けられることができるかということが勝利条件だ、とようやく導き出せました。
このようにありとあらゆるサービスや、皆さんが取り組むいろんな情報の「ルールと勝利条件」をちゃんと見つけことができれば、ゲーム化することができるのです。
今何をすればいいのか、どういうルールで、何が勝利条件なのか。ということをみなさんずっと気にしながらゲームをしているはずです。最終目標は「お姫様を助ける」とか「クッパを倒す」とか「何とか城へ行く」など何でもいいですが、とにかく「ルールと勝利条件」を情報として、押し付けがましく無く、いかにユーザーに提示していくかが、日本のテレビゲームの強みでした。海外のテレビゲームができなかったことです。つまり「ゲームニクス」です。
『任天堂について』
サイトウ先生が昔から関わってきた、「任天堂」とはどのような会社でしょうか。
任天堂と一緒に仕事を始めたころ、規模としては5、60人ぐらいの会社でした。それが、ファミコンが出てから数年で『シアトルマリナーズ』を買って、『スーパーファミコン』のころは日本でトップクラスの企業になりました。社員一人当たりの純利が一億五千万とかですからね。純利が。とにかく驚異的な速度で任天堂の会社は伸びました。
日本のソフトウェアが数年で世界の中心に立つということはとんでもない偉業だと思います。音楽にしても、映画にしても、日本はアメリカに攻撃をかけては泣いて帰ってきている訳です。しかし、ゲームだけは数年で世界のトップに立ち、未だにその状態が続いている。本当にすごいことです。そしてその理由を体系化したものが、私の「ゲームニクス」になります。