サイトウ・アキヒロ

 『未来について』

 サイトウ先生はどうして大学教授になられたのですか。

 最初大学教授のオファーを受ける気は全然ありませんでした。岩田が社長になるということで、任天堂の幹部にこないか、年収は5千万出すと言われました。私以外にも糸井重里とか、倉恒良彰くんとか4人くらいかな。任天堂でパーティも開いていただいて、私は最終的に断りました。私だけ。

 断った理由は、ゲームニクスに取り掛かりたいというのが半分、ちょうどそのころ子どもが生まれて、子どもを京都人にしたくなかったというのが半分なんですけど。

 ファミコンとかスーパーファミコンを作った上村雅之という任天堂の重鎮の方がいらして、上村さんは立命館の大学院で先生をやっていました。その方も任天堂のパーティに参加されていて、上村さんにはずっとお世話になっていたので、週の半分岩田のサポートをして、もう半分を立命館で先生をやってほしいと言われました。新しく映像学部というのが立ち上がるからそこを手伝ってくれないかと。パーティ会場というのもあって、わかりましたいいっすよオッケーっすよと適当に答えました。

 しかし任天堂幹部の話を断ることになりまして、京都に行くことはないので立命館のほうも断ったつもりでした。2か月ぐらい経ち、ある日のんびりと鼻毛抜きながらかっぱえびせんを食べていたらですね、立命館大学教授に任命しますという辞令が来ました。この話終わったんじゃないのって慌てて、これちょっと無理なんですけどと言ったら、いや今更言われても困りますと返されて。それから10年だよ。東京から片道4時間半だよ。ドア・トゥ・ドアだよ。つらかったですが、お世話になっている上村さんの誘いは断れなくて。そんなきっかけで先生を始めることになりました。そのうち志の高い若者と出会い、こういう若者の役に立てるんだと気づかされました。今は、この立場も悪くないなと思っている次第であります。

ゲーム業界についてどのようにお考えでしょうか。

 ゲーム業界は過酷だと思います。だって長くても5年単位ですべてが書き換えられるわけですから。今の時代に俺ファミコンだったら最高に作れるぜ!と言っても、誰も相手にしてくれないし、スーパーファミコンなら任せて!と言っても誰も相手にしてくれないし、64ビットだぜ!と言っても誰も相手にしてくれないです。

 それまでのノウハウが全部無しまたゼロから覚えてね、というのが5年おきくらいできます。だから50代でも60代でも、20代と同じ土俵で勝負しなきゃいけない。大工がカンナがけ10年やったら、それで一生食えるみたいなものが全然ないです。

 通信環境が新しくなったから今度こんな表現ができるようになりましたとか、20人30人同時プレイできるようになりましたとかね。そしたら当然ゲームデザインなんて大きく変わってきます。ましてや今は、まず無料でやっていただいて課金でお金稼ぎますとか、そんなの俺が今まで作ってきたゲームと違うぞみたいな。ビジネスモデルも、表現の土俵も、ツールも変わります。とにかく、新陳代謝が激しい業界だと思います。

 これからの目標は何でしょうか。

 若い人たちの役に立ちたいと思っています。私自身は何かものづくりをずっとしていれば、それだけで幸せなのでいいんですよ。私自身もあと10年か20年でいなくなってしまうので、次の時代を担う君たちの役に立てられればなんでもするよと思っています。もしくは、日本のものづくりに何かプラスになることができれば。君たちのこれから生きていく国そのものが、豊かで、表現の幅が広くて、作っていくものが世界で喜ばれるようにしていきたい。これが私の様々な発想の原点でもありますし、これからもずっとそう思っております。

 最後にこれからゲーム業界を目指す人に言いたいことはございますか。

 まずクリエイターだと思わないでねというのが一つですね。あくまでもユーザーが気持ちいいと思う環境を作るんだと思ってほしいです。そして常に技術が更新されていくので、そういう目で市場を見ないと、すぐに置いていかれます。本当に好きじゃないとやっていけません。本当に好きじゃないと残っていけません。

 そしてすべてのクリエイターに言えることですが、なにより大切なのは続けることです。とにかく。それはもうゲームクリエイターだろうが、漫画家だろうが、映画監督だろうが、ものづくりに関わるのであれば続けることが一番大切な才能です。

 その人が持っている感覚がたまたま時代とマッチすればよいものが作れるでしょう。売れるものが作れるでしょう。もちろん時代と合わない可能性もあります。もし仮に時代と合っていたとしましょう。しかし時が経つにつれその感性はズレていきます。悲しいですが、個人が持っている能力というのは大したものではありません。どういうものが時代とマッチするかということは誰にもわかりません。それが分かれば苦労はしません。そうなると、常に休まず作り続けていることが大切になります。作り続けていれば、映画で言えば監督になれます、ゲームで言えばディレクターになれます。

 かつて私の周りには、私よりよっぽど才能のある人間がたくさんいました。アニメーターでも、CMディレクターでも、特撮技術者でも。たくさんいましたが、この給料では家族を養っていけないとか、ブラック企業過ぎてついていけないとか、新しい技術を吸収するだけの体力が続かないとか、色々な理由で脱落していきました。

 それでも、続けていけば何かが絶対に積み上がっていって、気づいたらその分野のトップに残っています。なぜなら周りがいなくなるから。私は過去を振り返ってみての質問(質問:サイトウ先生はたくさんのお仕事を経験されてきたと思いますが、今自身の過去を振り返ってみて思うことはありますでしょうか。)で、みんな偉くなったなといったと思います。この偉くなった人は、みんな残った人です。

 個人の才能ももちろん大切ですが、それだけでは残っていけません。それよりも、とにかく続けていく才能のほうが遥かに重要だと思います。自分の能力に限界が見えて辛い時もあります。これで勝負できないと思える時も来ます。そんな中でも自分が楽しめる、自分が夢中になれるポイントを見つけて、続けていった人だけが今、残っています。

 私は今もものづくりを続けているので、その才能があったんだなと思います。それこそ岩田聡さんだの宮崎駿さんだの、宮崎さんは相当才能がありましたけどね、人格的にどうかは別として。ディズニーランドでトップをやっている村尾幸三くんなんかも、続けてきているからこそ残っているんですよ。

 最後に、こういう業界でやっていきたいと思うのであれば、とにかく続けていける才能を持ってほしいなと思います。じゃあ続けていくにはどうしたらいいか。単純に、好きかどうかだけです。本当に好きじゃなかったら過酷な商売だと思います。

 でも本当に好きだったら、未だに、こんなに楽しいです。

編集:ゲームプランナー専攻 1年 河本ワダチ