ヨコオタロウ

『ヨコオタロウ様ご自身について』

 ヨコオタロウ様が無意識でやってしまうことや考えてしまうことはありますか。

 私は毎日ダイエットコーラを1.5Lか2L飲みますが、それは意識的に飲んでいるから無意識ではないですね。無意識っていうと、歩くときに左足と右足を交互に出すこととかでしょうか。

 それ以外に無意識にやっていることはあまりない気がします。例えばお酒を飲むことが私はすごく好きでお酒はついつい飲んじゃうんですけれど、それは無意識のうちにやっていたってことはなくて、飲もう! と思ったら飲んでいるわけですし。

 普段の生活で言えば、元々社交的な方ではないので、家で引き籠もってずっとパソコンを眺めているのが大好きです。なんなら一日中仕事していても平気なタイプですので、無意識のうちに仕事をやっている、とも言えます。

 映画を観ていても、一鑑賞者としてだけではなくて作り手側として「これはどういう意味だろう?」とその場で解体しながら鑑賞しています。部屋で呑みながら誰かと映画を観ていると、すぐに「これはこうなるのではないか?」と予測をしてしまいます。「この俳優が出ているけど、一流のギャラの高い俳優だから、きっと最後まで出てくる。だからこいつが犯人だろう」とか。一緒に観る相手からするとすごくうるさいですね。

 座右の銘など心に残っている言葉を教えてください。

 座右の銘というものは自分で作るものだと思っているのですが、特にそういった言葉は持っていません。なので、最近見かけた良い言葉を紹介したいと思います。

「人生では正解を選んではいけない」

 脳科学者の中野信子さんが「人生では正解を選んではいけない」と言っているのですが、「正解を選ぶ」のではなくて「自分が選んだものを正解にしていく」というポジティブな発想になっています。何か選んでしまったものを「あれは失敗だったな」とか「アイツのせいだ」とかついつい言いたくなる気持ちを跳ね返し、正解にしていくのが自分の役目だと言い切っているのはすごいなと思いました。これは若い人たちがちょっと躓いたり不安なことに対しても前に向いていける一言だと思います。

 あぁ、思い出しました。私の座右の銘、ありました。「全部ウソ」です。なので、今話したことは全部ウソになります。

 ヨコオタロウ様が手かけるゲームやシナリオにはよくカタカナがよく用いられますが、込められた想いやエピソードはありますか。またヨコオタロウ様の名前が漢字からカタカナに変わったことにも関係はありますか。

 フリーランスになる前は会社員で、そのときは漢字で仕事していました。一方で当時受けていたフリーの仕事はカタカナで表記していました。会社にいるときはオフィシャルの表記は漢字で、フリーでやるときはペンネームとしてカタカナを使うというルールですね。会社辞めたあとはフリーの仕事しかなくなったので、全部カタカナになりました。今、もしどこかの会社に入って仕事をしたら名前を漢字で表記すると思います。

 シナリオのタイトルや見出しによくカタカナを使うことにあまり深い意味はなくて、単純に見た目重視です。普通にひらがなを使うところにカタカナを入れると、少し変な感じというか違和感を感じて、足を止めてもらうためにやっています。

 やっぱり足を止めてもらうってことが最初に一番大事なところで、エンタメでも「面白いものを作りました」だけではなく、手に取ってもらうことはすごく大事なことなんです。カタカナを入れるのは、プレゼンテーションとしてユーザーに「何だこれ」と不思議な気持ちにさせる為の方法ですね。

 ただ、カタカナの表現をずっとやっていると、これはこれで飽きてきます。カタカナの表現だけが必ずしも目を止めるわけではなく、みんなが普通に使っているものとは違うズレたことを少しだけやることを考えています。

 ヨコオタロウ様がシナリオを書くに当たって、どういった勉強をされてきたのでしょうか。また書籍や映画のおすすめの作品がございましたら教えてください。

 ゲームのシナリオを書くと決まったときに、シナリオの書き方の本を買って読みましたが15ページくらいで投げ出しました(笑)。一般化した書かれ方で、内容が頭に入ってこなくて。

 例えば、シナリオのセオリーの一つに「主人公は壁を越えなくてはいけない」という表現があります。常に主人公には何かしらの障害があって、その障害を超えることがドラマである、というものです。今の自分はゲームシナリオを何本か書いたのでその意味がわかるのですが、「主人公は壁を超える」という文字列には何一つ感動が含まれていないので、そこから何も感じ取ることができなかったです。

 個人的には、抽象的な理論を学ぶのではなくて、感動する映画を観たり、小説を読んでなぜ感動したのかを自分の中で深く掘り下げることが大事だと思います。この行為を内省と言います。

 作品を手にするとき、極力自分に嘘をつかないようにすることも大事です。例えばなぜそのCDを1枚買ったのか? 一般的には「この曲が良いから」このCDを買ったんだと思いがちです。実際には、それよりも手前で「テレビを観て有名人がおすすめしていた」からとか「自分の友達が聴いていたから」など取っかかりの部分が最初にあると思います。『鬼滅の刃』も『鬼滅の刃』が面白いから観るのではなく、みんなが話題にしているから観て、その後に「面白い」と感じるわけです。

 面白いとか人に伝わることを考えると、その本当の取っかかりの「気持ちをぼやかしてはいけない。だから心の底から動機になっていることを、きちんと見極めることは大事だと考えています。