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「寄生虫は人間の生まれるずっと前からライフサイクルを確立して、今日まで生きてきたのです。」

目黒寄生虫館館長
小川 和夫

1949年生まれ。
1972年に東京大学農学系研究科修士課修了。その後東京大学農学部助手、助教授を経て、東京大学大学院農学生命科学研究科教授に就任。
2011年より目黒寄生虫館館長に就任した。
著作『魚類寄生虫学』,『改訂・魚病学概論』

・目黒寄生虫館の創設当初から現在まで変わらない「入館料が無料」ということ。

 目黒寄生虫館が創設されたのは1953年。終戦から8年たったころでした。当時は今とは比べものにならないほどに、世の中は不衛生な状態でした。終戦がまだ色濃く残る時代でもあり、当時はどんな人でも寄生虫を持っているのが普通だったんです。回虫に限って言えば、日本人の70%が持っていたんですね。

 そんな状態なので人間の寄生虫を主に扱って、啓発啓蒙活動を行ってきました。寄生虫の標本や人間に感染するまでの経路、いわゆる感染経路及び感染した際の症状などを展示していました。

 しかし現在、世の中は随分ときれいになってしまい、次第に寄生虫自体を知っている人が減ってきたんです。今ではそれこそ映画や小説などの媒体を通してではないと触れる機会がないと思うんです。

 ですから今は「人体に関わる寄生虫」というテーマは2階に移し、1階には動物の寄生虫の標本や動画などを常設展示しています。こちらのテーマは「寄生虫の多様性」として、人間にとって危ない寄生虫だけでなく、もっといろいろな寄生虫がいるよ、と呼びかけています。

 それと寄生虫学の歴史資料なども展示しています。寄生虫学において有名な研究者の著書、当時使用した道具など。その他にも国内外に問わず集められた資料が300点以上もあります。

 研究と同時並行で、啓発活動や出版活動などを行っています。ですが変わらない点が一つありまして、それは創設から今まで入館料を無料にしていることです。これは多くの人に知ってもらうことが目黒寄生虫館の目的ですから、今でも変えることなく続けています。その代わりに「寄付してください」とは呼びかけているんです。それは当然、館の基本財産だけでは運営に限界があるからです。

 そういった方針を打ち出したのは、創立者でもある初代館長、亀谷了先生なんです。

・初代館長の亀谷了先生は地域医療に携わる医者、私財を投じて寄生虫館を創設。

 亀谷了先生は医者だったんですが、自分の収入のほとんどを使って、永続的に運営できるよう基金を積みあげた人なんです。それほどのことを個人でやろうなんて考えるんですから、相当意志が強い方ですよね。側から見たら変わり者だったかもしれませんが。でも敬遠されるということはなく、とても人望の厚い方でした。

 終戦後、満州から引き上げてきまして、今は現存していませんが『亀谷診療所』を目黒に構えたんです。そこで患者の診察も行いますし、早朝の往診も厭わない先生でした。その上で目黒寄生虫館の創設を実現されたんですから、相当すごい人ですよ。

 亀谷了先生はそのように地域医療に携わる医者もあり、また同時に研究者でもあったんです。寄生虫のフタゴムシが好きで、永年その研究をされていたんです。とても寄生虫を愛している方でした。

・偉大な研究者、寄生虫学の重鎮、山口左仲先生。

  亀谷了先生の息子さんにあたる人で、2代目の館長になられた亀谷俊也先生という方がいるんです。その方が学問的なところを固めて今の目黒寄生虫館があります。その亀谷俊也先生の師にあたる方が、山口左仲先生という寄生虫学の偉大な研究者なんです。

 山口左仲先生はどうような功績があるかといいますと、1934年に300ページにも及ぶ論文を書き上げています。これが山口左仲先生の、ほとんど最初の論文にあたります。昔は今みたいなデジタル機器はなくて全部手書きですから、想像もつかないほど大変だったと思います。

 そして寄生虫の原図も大量に残しています。これが実際1000枚以上あります。しかしそれを山口左仲先生ご自身は一筆も描いてないんですね。研究する時間がなくなってしまうからと、7人くらいの絵師をわざわざ雇ってすべて描写させたというのです。それが非常に細かく描かれているんです。それに加えて、ほとんど直したあとがないんです。紙の上にダイレクトに描かれているんです。とても真似できることではありません。

 山口左仲先生は分類学者なんですが、分類をまとめて、1冊の本にしました。それも全部一人でやったことでした。

 そんな数々の資料を山口左仲先生の没後、亀谷俊也先生との縁ですべて当館に寄贈を受けたんです。しかしその量が膨大でした。一部は目黒寄生虫館に展示してあるんですが、出しきれていないんです。もったいないことです。言い換えればそれほどまでに山口左仲先生は寄生虫に力を注いでいたということでもあります。それもまた愛だと思うんですよね。