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Pick! 1 workstage01_未来的創造と職人の技《秋東精工インタビュー》



江戸川区に職人の技を持つ技術者たちがいた。
金型※」を使ったプラモデル制作の技術が今、
時代を超え アーチェリーのグリップや特殊な形状のスピーカーなど さまざまなものを展開していた。
ものつくりの現場、株式会社秋東精工の社長・
柴田忠利氏に話をお伺いした。


秋東精工の社長・柴田忠利氏。


● 日本で初めてプラモデルの金型を製造した企業ということですが、これまでに製造してきた商品で印象に残っているものはありますか?


——最初に補足の説明をしますと、「日本で初めてプラモデルの金型を製造した企業」というのは若干ニュアンスが違っていて、正確には「日本で初めてプラモデルの金型を製造した人間が創設した企業」なんですね。
 どういうことかといいますと、秋東精工の会長である父が、初代の社長であり創設者で、集団就職時代にかつて東京にあった『マルサン商店』というおもちゃ会社に就職したんです。そのマルサン商店で日本初のプラモデルを製造したのです。
 マルサン商店が倒産してしまったあと、プラモデルを作り続けようと設立されたのが、秋東精工です。

 話を戻しますと、これまでに製造してきた商品で印象にあるものは『某アニメのプラモデル』ですね。やはり、今日本のプラモデルを牽引しているといっても過言ではない『某アニメのプラモデル』に携わらせていただいて、それなりに苦労も多いですけれど、常にそれに触れているという意味でとても印象的ですね。



● 一番最初に携わったプラモデルはなんですか?


——秋東精工を立ち上げて一番最初に携わったプラモデルは、昭和53年製造の『ランボルギーニ・ミウラ』です。ちなみに、マルサン商店で作った日本初のプラモデルは昭和33年製造の『原子力潜水艦ノーチラス号』です。私も生まれていなかった時代のものですね。
 現在のプラモデルの方が技術も進歩していて、造形がとても精巧なのですが、当時のプラモデルの金型の製造はすべて手作りなので、当時としても貴重なものでした。



ランボルギーニ・ミウラ(昭和53年製造)


原子力潜水艦ノーチラス号(昭和33年製造)


● 御社は細部にまでこだわった作りが売りだと拝見しました。ホームページに掲載されていた写真以外で紹介できるものがあれば教えていただけないでしょうか?


——これは鉄道模型の屋根部分の上部にとりつけてあるクーラーのパーツなのですけど、クーラーのファンが網の向こうにあるように見えると思います。これはそう見えるように、金型の段階から彫られていて、実際にファンと網で二重になっているわけではないのです。その当時はすべて手作業で金型を彫っていました。その作業というのはかなり難しい部類でした。
 現在は3Dプリンターを使えば、均一に量産できるので、現在は3Dプリンターでこの作業をおこなっています。



● 新しい取り組みとしてハサミに組み立てられるプラモデルや廃棄物の出ないエコプラモデルなどを製造していますが、プラモデルを使うというアイデアに思いついたきっかけはなんですか?


——毎年、江戸川区で『産業ときめきフェア』という催しがあって、秋東精工も参加させていただく機会がありました。そこで、地域の子どもたちに喜んでもらえるものはなんだろうと考えたときに、私たちはプラモデルを作っているから、簡易的で実用性のあるプラモデルを作ったら面白いのではないかと思って、ハサミとして使えるクワガタのプラモデルを作りました。子ども向けに作ったものなので、乱暴に扱っても壊れない丈夫さと、紙は切れても手は切れない程度の鋭利さが特長です。

 もう一つ、スプーンとして使えるプラモデルがありまして、これは『西武ドーム』でカレーを売っている食品屋さんからの依頼で製造しました。子どもが球場で遊びながら、カレーを食べられたら面白いのではないかと考えて、スプーンにバタフライナイフのように開閉するギミックを加えています。
 私も、昔からプラモデルで遊んでいたので、組み立てたあとも遊べるプラモデルを心がけています。



クワガタの形をしたハサミのプラモデル。クワガタの翅の部分が刃となっている。


● 3Dプリンターと手作業による製造の違いはなんでしょうか?


——3Dプリンターが出始めた当時、「仕事を3Dプリンターに取られるのではないか」という意見が多かったのですが、実はそうでもなく、人間でないとできない技術というのはまだ残っているんですよね。逆に、3Dプリンターができるところを任せれば、当時は手作業で行っていた分の時間を、別の作業に充てられるんです。
 3Dプリンターは『敵』ではなくて『相棒』だと考えています。3Dプリンターによる製造と手作業を切り離して考えるのではなく、お互いの利点と欠点を融合して考えて両立させるのです。



● 輸入品がほとんどであるアーチェリーの握り手(グリップ)のプラスチック部分を成型するようになった理由やそれに関するエピソードがありましたらお聞かせください。


——大田区の下町の企業がボブスレーを作った『下町ボブスレーネットワークプロジェクト』の事例のように、江戸川区の企業でやってみても面白いのではないかというところから『PROJECT SAKURA』は始まりました。後追いにはなるのですが、アスリートたちを応援するプロジェクトはいくつあってもいいのではないかと思っています。
 このようなプロジェクトを立ち上げる機会に恵まれて、アスリートたちの力になれるのだったら貢献したいという思いと好奇心から『PROJECT SAKURA』に参加しました。



● プラモデルの金型や握り手(グリップ)の他に、御社が手がけている製品はありますか?


——今年の夏に『FOREMAR』という会社を立ち上げまして、その製造部門を秋東精工が請け負っています。FOREMARでは、世界初の3Dプリンターで製造したスピーカーを手がけました。スピーカーを囲む箱の形状が3Dプリンターでないとできない構造をしていて、この構造が雑音を吸収してより忠実な音を再生してくれます。
 もう一つ、『Fame Toys』という事業もやっていまして、小中学校の生徒さんのプログラミングの教材として使える鉄道のおもちゃの開発もおこなっています。



『FOREMAR』が手がけた、世界初の3Dプリンターで製造したスピーカー。


● 製造する際に心がけていることはありますか?


——製造にあたって、まずエンドユーザーのことを考えていますね。プラモデルというのはエンターテインメントの商品なので、完成度の高いものを作ることが前提で、そのメーカーの商品を買ってくれた人たちが「楽しいな」と思えるような商品、「なんだこれ?」と思われないような製品には絶対にしてはいけないなというのは常に心がけていることです。



● 江戸川区に会社を設立してよかったことはありますか?


——もともと親の代から江戸川区にあったのですが、秋東精工を立ち上げる際、江戸川区には大変お世話になっているんです。『江戸川信用金庫』に相談をしに行ったときに工場を紹介していただいたり、江戸川区に『産業ときめきフェア』という催しに参加させていただいたりして、親身になって後押ししていただいているので、とても感謝しています。
 昔、江戸川区には秋東精工のような町工場がたくさんあって、そういった町工場を後押ししようという地盤があるんだと思います。江戸川区に恩返しできたらいいなと思っています。



● 今年の2月に経済産業省から「地域未来牽引企業」に選定され、ますますのご活躍が期待される御社ですが、今後の目標についてお聞かせください。


——秋東精工には日本で初めてプラモデルを手がけたという、他にはない強みがあるので、それを継承していきたいという気持ちはありますね。そのために、様々な製品が海外製にとってかわるなかで、それらと差別化して生き残っていけるようにしていきたいというのは、常に考えています。



柴田氏と取材メンバー。