Pick! 6 Traditional crafts_江戸川区の伝統工芸
篠原風鈴本舗
瑞江で100年以上続く伝統工芸「江戸風鈴」に
触れてきました。
なんと、ガラス吹きから絵付けまで体験できるのです。
篠原風鈴本舗の取締役である篠原惠美さまに
話を伺ってきました。
――風鈴は魔除けである
元々風鈴というのは、音で魔をよけるという『魔よけ』でした。その音が聞こえているところでは、悪いものはその音を怖がって逃げていく。それで昔の人は、風鈴を魔よけとして1年中使っていたということですね。
風鈴は、その昔は赤いものが多くありました。赤とは、魔よけの色です。赤い色と音の両方で魔よけとして使われていました。
ただ赤1色というわけではなく、ちゃんと柄もあります。40年ほど前は、およそ4割が赤でした。それより前は、ほとんど赤だったと思います。ただやはり、見た目が暑苦しいので、現在では赤い風鈴が減ってきました。今では1割ありません。
そのぐらい江戸風鈴の絵は様変わりをしております。
――篠原風鈴本舗の、創業から現在までの歴史について
創業は今から100年前です。大正4年に、台東区で篠原又平が創業しました。
明治の生まれの又平が育ったのは新潟です。一旗上げようと思って東京に出ました。そこでいろいろな仕事をしておりましたが、最終的には風鈴の修行をして、独立しました。
風鈴づくりの仕事というのは、明治時代の当時、花形だったとのことです。
――ガラス吹きの職人について
昔は10年と言っていましたが、10年では難しいなと思います。15年、20年とかかると思います。
大正13年生まれの父は、70歳ぐらいまで現場でガラスを吹いていました。60年近くやったとしても「満足のできる風鈴は一個もなかった」というぐらいに、終わりがないんです。
私がこれはいいなと思っても、父は「いやもっといい音がでるはずだ」とか。
突き詰めていけば、本当にもう終わりがないもの、という気もします。
ガラスを吹く編集部の小方
――どうやってガラスの技術が日本に伝わったのか
江戸時代は、日本は鎖国をしていました。ほかの国の技術というのは、長崎の出島から伝わるのですが、オランダや中国など、本当に限られた国としか交易していなかったのです。
主には中国だと思われますが、出島を通して持って来た技術のひとつに、ガラスを溶かして膨らます、という製法がありました。それが江戸に伝わって来ました。
それまでは、ガラスのようなものは存在していましたが、それ以来ガラス技術はずっと途絶えていました。
――設備や原材料の確保について
現在は電気の炉なのですが、それがない当時の燃料はコークスでした。
わたし(現取締役の篠原惠美さま)が嫁いできた40年ぐらい前はコークスを使っていて、20年近く前に、一度ガスになりました。数年してから、電気の炉で落ち着いたことになります。
――江戸風鈴の店は日本で2つしかない
お店を続けていくということは、買ってくださる方がいらっしゃるということです。
お客様が買ってくださるような風鈴をつくり続けていく。それがいちばん大事じゃないかな、と考えています。
篠原になってからは100年ちょっとですけれども、江戸風鈴という文化は、300年近く続いております。
これからまた300年続けていけたら、どんなにいいことかと思っております。
――江戸川区の魅力は何でしょうか
江戸川区は、やはり江戸川があるということです。
今回わたしたちも台風で、氾濫するんじゃないかと言われていましたが、十分に持ちこたえました。あれだけ川幅のある、雄大な川を有している、そばで流れているというのは、すばらしいことです。
河原とか、河川敷とか、場所の利用の仕方はさまざまあります。江戸川区、という名前になったくらい、そんな江戸川の魅力があるということではないでしょうか。
――江戸川区の癒しスポット
江戸川そのもの。広々としたところで、土手で、その川を渡る風が吹いてるのが、わたしは気持ちがいいなと思います。
編集部メンバーが制作した風鈴
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