乙一

17歳で小説家デビューした乙一先生。
山白朝子や中田永一でも小説を発表、 ペンネームによって作風が違う。 本名名義で脚本も手掛けており、 映画を撮ることもある。
多岐に渡り活躍する乙一先生に、小説のこと、 映画のことについてもお伺いすることができた。

日常からずれていく感じが書いていて楽しいです。

「昔から漫画や小説を読むのが好きで、16歳のころにコメディー小説を書き始めました」

ライトノベルに出会ったのは15歳ごろの夏休み。友人から借りたことにより、ライトノベル、小説を読む楽しさを知る。自ら小説を書き始めたのは16歳ごろ。富士見ファンタジア小説大賞に応募するために、異世界ファンタジーを書いていたが上手くいかず舞台を地元の田舎町にした『夏と花火と私の死体』でジャンプ小説大賞を受賞した。小説家を目指したきっかけはなんだったのだろうか。

私が15歳か16歳ぐらいのときでした。たいへんな人見知りのときがあり、人と上手にコミュニケーションができなくなった時期でした。このまま大人になると会社に入って普通に働くのはむずかしそうと考えまして、漫画家や小説家だったら部屋にこもって仕事ができるのかなと思ったわけです。それで技能を磨くことにしたんです。昔から漫画や小説を読むのが好きだったのですが、そういうものを書くことで生活できたらいいなと思いました。むしろそれ以外で、人と会わずにお金を稼ぐ方法という方法が浮かばなかったということもあります。

影響を受けた作品は山本弘先生の『ソードワールド』シリーズの短編です。10代のころは、たくさんライトノベルを読んでいました。当時は山本先生の作品を探して読むことを繰り返していて、初めて小説家のおっかけのようになりました。

16歳のころはテンションの高い『スレイヤーズ』みたいなコメディー小説が好きで、こういう小説が創りたいと小説を書き始めたんです。そのうち性格的にそっちはむいてないなと思い、特別な知識もいらないホラーにしようと思いました。日常からずれていく感じが書いていて楽しいです。

執筆するときはストーリー展開を決め、キャラクター設定を作っている。デビューして間もなく『シナリオ入門』という本で、映画の脚本作りの技術を勉強し取り入れている。執筆にこだわっていることはあるのか聞いてみた。

——私はわりと他の作家さんよりも起承転結にこだわって創っている気がします。……

 

 

乙一 -Otuichi-

小説家。1978年生まれ。福岡県出身。『夏と花火と私の死体』で1996年第6回ジャンプ小説大賞を受賞しデビュー。連作短編集『GOTH リストカット事件』が2003年第3回本格ミステリ大賞を受賞。山白朝子、中田永一の別名義でも執筆。中田永一名義の『くちびるに歌を』では2012年第61回小学館児童出版文化賞を受賞。枕木憂士として映画エッセイを寄稿している。