碧野 圭

碧野圭先生は、雑誌の編集やライトノベルの編集など、長いこと出版社に勤めていた経験のある小説家だ。代表作の『書店ガール』は第3回静岡書店大賞の「映像化したい文庫部門」大賞を受賞し、テレビドラマ化もされた。
そんな長いこと本と向き合ってきた碧野先生に、小説を書くことの魅力などについて伺った。

読者が納得できるリアリティを、きちんと書いていきたいと考えています。

「本は物心ついたときから読んでいました」

フリーライター、出版社勤務を経て、2006年に作家としてデビューした碧野圭先生。デビュー作『辞めない理由』は、それまで出版社に携わってきた経験を活かして作られている。そんな碧野先生は、子どものころから漠然と本に関する職業に就きたいと考えていたそうだ。

—幼稚園に上がる前、親が姉のために買った『少年少女世界の名作文学全集』を手に取ったのが、私の生まれて初めての読書体験でした。絵本を読んだということはなく、いきなり分厚い本から入ったんです。当時は日本の児童文学とかエンターテインメント小説はまだ成熟しておらず、圧倒的に海外のものがおもしろい。この全集に入っていた児童文学にしても、教訓的なものだったり、おとなの文学を簡単にしたものだったりしたので読んでいて楽しくない。そのあとに読んだミステリとかSFでも、やっぱりエンターテインメントは海外のものの方がおもしろいな、という偏見がありました。

30歳を過ぎて、新本格ミステリなどが盛んになるころまで、ずっとそう思っていましたね。

時代は男女雇用機会均等法以前で、女性には働き口は限られていた。しかし碧野先生は、専業主婦になるつもりは一切なく、資格が取れるならばと東京学芸大学に進学した。そこで編集という仕事のおもしろさを体験した。

—学芸大学では、漫画研究部に入っていました。そこでは毎月青焼きコピーの雑誌を出し、学園祭の時には集大成としてオフセットの雑誌を出すという活動をしていたのです。

たとえ青焼きのコピー誌でも、本を一冊作るのですから編集担当が必要になるのですが、このクラブに集まるのは漫画を描きたい人ばかりで、みんな編集の仕事には興味を持っていません。持ち回り制で順番にやっていったのですが、自分の当番になって編集をやってみたら、すごくおもしろいと感じました。

なにをどういう順番に載せて、表紙を誰にするかとか、幽霊部員のあの人にも原稿を頼んでみようとか。目次をどういうふうにするか、あとがきにどんな文章を入れようとか。その一つひとつがすごく楽しかったんです。……

続きは本誌もしくは電子書籍で

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碧野 圭 -Aono Kei-

1959年愛知県名古屋市出身。東京学芸大学教育学部卒業後、フリーライターとしてタウン誌や『アニメージュ』などの雑誌に携わる。その後、ライトノベルの編集経験を経て、2006年に『辞めない理由』で小説家デビューした。現在、小説の執筆をするかたわら、ruelle studioで『き・まま』という雑誌を作っている。
ruelle studio URL:http://ruelle-studio.net/kimama.html