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「常に自分のやりたいことにチャレンジしたい。」

株式会社 マーベラス
高木 謙一郎

株式会社マーベラス執行役員/株式会社HONEY∞PARADE GAMES代表取締役/ゲームプロデューサー
2006年に『マーベラスインタラクティブ(現・マーベラス)』へ入社。
プロデューサーとして、2009年PSP用ソフト『勇者30』、2011年ニンテンドー3DS用ソフト『閃乱カグラ -少女達の真影-』、2015年『VALKYRIE DRIVE –BHIKKHUNI-』など多数のゲームを制作してきた。とくに代表作の『閃乱カグラ』シリーズは6年続く人気シリーズとなっており、北米や欧州、アジアでも人気を博している。岡山県出身。

◉株式会社マーベラス 1997年設立。現在はオンラインゲーム、家庭用ゲームソフト、アミューズメント筐体といったゲームの企画、制作、運営、販売やアニメ、音楽の制作や配信、舞台作品の企画、制作、興行など多様なコンテンツを生み出し、世に送り出している。
●http://marv.jp

・ゲーム漬けの毎日の中で、ゲームの可能性を感じた。

 1983年、私が小学校3年生のころにファミコンが発売されたんですが、当時はゲームに対して理解がない時代だったこともあり、親がゲームに悪いイメージを持っていて、ファミコンを買ってもらえなかったんです。

 だから自分の家にはゲームがなく、それでもゲームがやりたくてやりたくて、ファミコンを持っている友達の家を何軒もハシゴして遊びにいったり、ゲームセンターに通ったりと、自宅以外でゲームばかりして遊んでいました。

 中高校時代になってNEOGEOをはじめとした格闘ゲームが流行っていたので、勉強はほどほどにしつつ、駄菓子屋の前でずっとゲームをしていました。当時からSNKが制作したゲームのファンで、現在でも遊んでいるくらいハマって遊んでいました。

 大学に入ると、自分で自由に使えるお金ができたのでゲームソフトをたくさん買い揃えていきました。当然学生ですから恋愛だったりスポーツだったり、映画とかのほかの娯楽もほどほどにやりつつも、とにかくゲームに触れていたという学生時代でした。

 小学生のころは絵を描くのが好きだったので、実は漫画家になりたいと思っていたんです。そんなわけで漫画クラブに入りまして、1日1本4コマ漫画とキャラクターデザインを作るみたいなことを中学生時代までやっていました。でも、描きたいストーリーがたくさんあるのに、絵を描くスピードが間に合わなかったんです。それで途中でそのストーリーを描くことに飽きてしまったりという状況でした。

 そんなことを思いつつ、ゲームで遊んでいるうちに、ゲームを作るというのは、絵を描く人、音楽を作る人、ストーリーを考える人など、それぞれの分野のプロフェッショナルが集まって、みんなで作っていることに気づいたんです。

 当時も益々ゲームが進化している状況でしたし、ゲームの可能性を感じていたので、ゲームを作ることに対して憧れを抱くようになりました。

 そんな中、面白くないゲームもあり、「自分ならもっと面白いものが作れるぞ」と思っちゃったりしてました。そういった理由でゲームの開発者を志したんです。

・大切なのは、作品の面白さを瞬間的に伝えること。

 就職活動では、ゲーム会社を志望しました。でも全然受かりませんでした。大学卒業後、諦めきれなかったので専門学校に進学したんです。そこで2年間勉強しました。専門学校の時の就職活動は、自分で考えた企画書をダンボール1箱分詰めてゲーム会社に送るというようなことまでやっていました。それが当時の自分の考える精一杯の熱意だったんです。

 ただそれでもゲーム会社に就職できませんでした。今考えてみると、その当時は「就職先は、学校がなんとかしてくれるだろう」というような学校に甘えていたところもあったと思いますし、自分自身の考えも甘かったと思います。それで、結局自分自身でスキルを上げていかなくてはいけないんだとやっと気づきました。

 当時は広島にいたのですが、地方では限界があるだろうということで専門学校卒業後にとりあえず上京したんです。そして26歳までになんとかしようと思い、そこから本気で2年間勉強しました。

 私はゲームプランナー、ゲームデザイナーを目指していたので、まずは興味を引く企画書とはどういうものなのか、もう一度真剣に勉強しました。その間ゲーム業界で働いてる人に会ってアドバイスをもらったりしながら、ようやく私が25歳の終わりごろにゲーム会社に就職できたんです。

 熱意だけは誰にも負けませんが、どんなに熱意を持っていろいろ言っても、作品の面白さが伝わらなければ見向きもされません。その作品の面白さを瞬間的に理解させるような「伝えることの大切さ」を学べたことはとても有意義でした。

 マーベラスに入社して約10年になりますが、入社当時はまだまだ会社の知名度がないときでしたので、せっかく作った作品がお客様になかなか気づいてもらえない状態でした。

 そこで会社そのもののブランドを作ることは難しいですが、自分自身にファンをつけることができたら作ったゲームを遊んでもらう機会につながるのではないかと考えたんです。

 今は、世の中に面白いものがたくさんあるので、気づいてもらえるようなフックを作ろうと思いました。それでメディアに出演したり、SNSで面白おかしく発信しています。最初はそこまで戦略的には考えてなかったんですが、自分と同じゲーム好きの人たちと一緒に盛り上がりたいなと思っていたのが、結果的にかたちになっていったというのはありますね。

 一方的にゲームを作って売る、というよりはお客様と一緒に盛り上げていくスタイルでやっていけば、楽しい雰囲気の場所に人は集まると思っています。

・業界に入ってから、ずっと決定権が欲しかった。

 現在、私はプロデューサーとしてゲーム作りに携わっています。基本的には、ゲームの制作から宣伝活動など、そのゲームタイトル全体の管理、指揮をしています。その上で利益を出すことがプロデューサーの最も重要な役割です。利益を出すためのアプローチは人によって違うので、プロデューサーの仕事は一概にこうだと言えないのですが、簡単に言えば「決定すること」が仕事だと思います。

 たとえば、飲食店でいうと、とにかく美味しい料理を出す店を作ろうって言われると、スタッフはみんな困ると思います。スタートもゴールも見えないので具体的な指示が必要です。そこで日本食で野菜をメインにした料理を出そうといったような方針を示せば、パスタをメニューに加えたい、という意見があったとしても採用するかしないかの基準ができます。

 さらに、予算やスタッフの配置などをしっかり決めて、スタッフ全員が仕事をしやすい環境を作るのも、プロデューサーの仕事だと思います。

 このように、プロデューサーはあらゆる面での決定権がありますが、実は私はこの業界に入ってからずっと、ゲーム開発における決定権が欲しかったので、今は最大限活用させてもらっています。決めることが非常に苦しいこともあるんですが、私はとにかくゲームに関するいろいろなことを決定していきたいと思っていたので、その点はプロデューサーという仕事の長所と捉えています。

 ただ、全体を俯瞰して見る立場なので、細かいところまで見られなくなるのは悩ましいところです。以前は、実際に現場に入って数値の調整をしたり、ドットを打つといったようなことができていたのですが、そこは、20代の頃のゲーム開発とは変わってきたところです。