creare - クレアーレ

「デジタルでは出せない絵の具の色の出方がとても好きなんです。」

漫画家
たなと

多摩美術大学卒業後、2012年に祥伝社発行のアンソロジー『onBLUE』でデビューする。
デビュー作とともに初連載作品となった『スニーキーレッド(祥伝社)』は代表作の一つ。
現在は『onBLUE(祥伝社)』で『PERFECT FIT』、マンガアプリ『マンガワン』で一般作品である『あちらこちらぼくら』を連載中。
●Twitter https://twitter.com/sonokitomajima HP http://sb365d.blog114.fc2.com/

・たなと先生が漫画家を目指そうと思ったきっかけをお聞かせください。

 幼いころから絵を描くことが好きで、小学4年生のころには漫画家になりたいと思っていました。小学生の時に学校で友達と漫画クラブを作ったり、合作で漫画を描いたりしていたこともありました。しかし親に漫画家になりたいということを話したら「ろくに勉強もしないで漫画が描けると思うな」と叱られてしまって、「簡単になれるものではないんだ」と一度は諦めてしまいました。そのあと中・高の美術の教員になろうと思っていたのですが教育実習にいったときに教師になるのは向いてないと自覚しました。

 大学を卒業するころに、「これからどうしよう」と悩んでいたのですけれど、卒業式の日にタクシーの運転手さんが私が卒業式だったことに気付いてくださったんです。それで「就職先は決まっているの?」と聞かれまして、私が「それがまだ……。」と答えたら、「決まってないってことは、なんにでもなれるね。」と励ましてくれました。そのときに「確かにそうだ。」と思いまして、ずっと憧れていた漫画家を目指そうと思ったんです。

・はじめ漫画を出版社に持ち込みをしたと伺いました。

 はじめははっきりとBL漫画を描きたいと思っていなかったので、一般誌の『コミックビーム』とBL雑誌の『OPERA』に漫画を持ち込みにいきました。

 はっきりとBLを描きたいと思ったのは『コミックビーム』に2回持ち込みにいったあとです。いろいろ考えて結局自分が描きたいものはBLだと気付いたんです。普段自分が読んでいるものは青年誌の漫画が多かったので自分も描くなら青年向けだと思っていたのですが、一般誌に持ち込んだ漫画もBLに類する内容のものでした。

 持ち込みの際に対応してくれた編集さんには漫画のいろいろなことを教えていただきました。勉強になったと思ったのは、画面の作り方に関して指摘を受けたことです。吹き出しが小さかったり、物の質感を表現できていないなど様々な指摘を受けました。最後のコマにドキドキさせるようなシーンをおいてめくりを強くするということも考えないといけないと言われました。

 それから、自分の好きな漫画を単行本サイズからB4原稿サイズに拡大してなぞってみるといいよとも言われました。私は『ヒカルの碁』を模写したのですが、ひとつひとつの絵が予想以上に大きく描かれていたり、意外とサッとした線で描かれているところがあったり発見が多かったです。とても勉強になりました。

 ほかにも、「漫画雑誌を毎月何冊も買うくらい漫画が好きな人の大半は、多分幸せだけを感じて生きてきた人じゃないよね。うちの雑誌では、なにかを抱える人たちに向けて、感情が湧き上がるような漫画を描いてほしい。」という話をしてもらったことが強く印象に残っています。

・デビュー前、ブログではイラストの掲載がほとんどだったそうですが、漫画はいつごろから描かれていたのでしょうか。

 初めて漫画を描いたのは幼稚園くらいのときです。お相撲さんの2コマ漫画のようなものを描いていました。姉が読んでくれるのが嬉しくて、描いていた記憶があります。漫画は、小学5、6年生までずっと描いていて、そこから少しずつ描かなくなってしまいました。

 高校生の頃には、ホームページを作って、いわゆる二次創作の同人活動をしていたのですが、そのときはイラストばかりで漫画は4コマ漫画しか描いていませんでした。なぜかというと、実在する人物や漫画のキャラクターを自分の考えで長く動かしつづけるということが上手くできなかったからです。

 本格的に長編漫画を描き始めたのは2010年ころからです。2011年から、『comitia』という創作オンリーのイベントに参加するようになりました。

 現在も連載作品を載せてもらっている『onBLUE』の編集さんにデビューの話を持ちかけられたのもこのイベントでした。『onBLUE』の編集さんが私に声をかけてくださったことには経緯がありました。私が初めてcomitiaに参加したとき、既に漫画家としてご活躍されていた田中相先生が同人誌を買いに来てくださったんです。それと同時期に、当時面識のなかった漫画家の雲田はるこ先生も、『onBLUE』の編集さんに私のことを紹介してくださったとのことです。

 その後、田中相先生から「漫画を仕事にしたいという気持ちはあるの?」と直接たずねられ、私は「漫画家になりたいです。」と答えました。それを受けて、もともとお友達同士だった田中相先生と雲田はるこ先生が『onBLUE』の編集さんといっしょにcomitimaのスペースに来てくださって、ものすごく驚きました。そのときに「うちで描きませんか」と声をかけてもらったんです。

 そのあと、打ち合わせを経て描いたのが『スニーキーレッド』です。最初は読み切りとして描いたのですが、編集さんから続きも描いてみませんかと言われまして、そのまま連載をすることになりました。

・先生は学生時代に美術大学でテキスタイルデザインを専攻されていたそうですが、具体的にここではどのようなことを学んでいたのでしょうか。

 染織に関することを学ぶ学科だったのですが、その中でも大きく染める専攻と織る専攻に分かれていて、私は「染」の専攻で学んでいました。1年の時点で自分はテキスタイル専攻に向いていないと薄々気付いていたので、本当に大変な4年間でした。

 たとえば『絞り染め』や『型染め』というものがあるのですが、布を細かく縛ったり複雑な型を彫ったりするのにはものすごく時間と手間がかかりましたし、「織」の課題では機織り機に何千本の糸をかけるなど忍耐力のいる作業が多かったので物を作るときの我慢強さのようなものを教えてもらいました。

・デビューされてから、5年が経ちましたが、デビュー前と現在で変化したことなどはありますでしょうか。

 外に出なくなりました(笑)あとは生活する時間が昼夜逆転しました。というのも、夜ですとチャイムや電話が鳴ったり、誰かに話しかけられる心配もないというのが私にとって集中するのに大事な要素だったようです。以前から編集さんにアシスタントを入れたらどうかと言ってもらっているのですが、1人じゃないと集中できなくて断り続けています。

・先生が仕事上で、影響を受けた人物や作品がありましたらお教えください。

 とても沢山の人から影響を受けているのですが、なかでも強く尊敬しているのは、漫画家の吉田基已先生です。この先生の表情の描き方が大好きです。「人ってこういうときにこういう顔するよね。」というのをとても的確且つ魅力的に表現されています。

 絵柄に関して特に影響を受けたのは武井宏之先生の『仏ゾーン』『シャーマンキング』や、私が小学生のころに『りぼん』や『コロコロコミック』で連載されていた作品です。この間、大掃除をしたときに小学2、3年生のころに描いた絵が出てきたのですが、今と絵柄があまり変わっていませんでした。小学5、6年のころは『シャーマンキング』の模写ばかりしていました。

 また、漫画を描いていて悩んだときに助言をくださる田中相先生と雲田はるこ先生のことは、お人柄を含めてとても尊敬しています。こういう先輩たちが近くにいてくれるのと、いないのとでは全然違うなと思いました。お二人とも、考え方が柔軟で相談するとなんでも上手くアドバイスしてくださるんです。今現在もいろいろなことを教わっています。