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「キャラクターの変化は大事にしたいテーマのひとつです。」

小説家
英田 サキ

主にBL小説を手がけ、代表作は『エス』シリーズ(大洋図書)『DEAD LOCK』シリーズ(徳間書店)など。一般小説はアイダサキ名義で執筆。
デビュー作は『小説JUNE』2002.10.144号に掲載の『傷痕』。初の単行本は『NGだらけの恋なんて』2004/07プランタン出版より出版。
裏社会を舞台とする硬派なストーリーを多く発表している。
●Twitter https://twitter.com/aidax_info Blog http://aida3.blog.jp/

Q.2002年に小説家デビューされた英田先生ですが、小説家になろうと思ったきっかけをお聞かせください。

 幼いころから漫画が好きで、実は漫画を描いていたんです。描きたい話やアイデアはたくさんあったのですが画力が追いつかなくて、少女漫画雑誌で4コマを描いていた時期もありました。でも4コマを特別描きたいわけでもなくて、なんとなく続けていました。あるとき、もしかして小説だったら好きな話が書けるのではないかと思い、少し書いてみたら意外に面白かったんです。昔から小説は好きでたくさん読んでいましたが、自分に小説を書くことなんてできないとかってに思い込んでいたんです。そんなわけで物語は描きたい、でも漫画では無理、それで小説で、という形です。

 デビュー前はウェブで自分のサイトを作って、そこでオリジナルのBL小説を書いていました。ウェブで発表しているうちに、読者さんから感想をたくさんいただけるようになり、誰かに読んでもらえる喜びを体験しました。そうすると「頻繁に更新しなくては」と思って、毎日毎日小説を書くようになったんです。次第にどうせ書くならプロになりたいと思い、それで雑誌に投稿を始めてみたんです。

Q.デビューは中島梓先生が審査されていた『JUNE』という雑誌の『小説道場』ですよね。新人発掘に伝統のあるコーナーだと伺っています。

 『JUNE』は女性のための男性同性愛を扱った雑誌で、今で言うBL(ボーイズラブ)ですね。中島梓先生の作家としてのペンネームは栗本薫先生ですが、売れっ子作家だった栗本先生が道場主として投稿作品を丁寧に講評してくださる贅沢なコーナーでした。

 10年ほど続いた小説道場は一度終了して、編集さんが見てくださるコーナーに変わっていたんですが、ちょうど私が投稿した時期に栗本先生がたまたまご隠居というスタンスで復帰されていて、最初に応募した2作だけは講評を賜りました。先生に見ていただけたのはその一度きりなので、厳密には小説道場出身とは言えない立場かな、と思っています。

 講評をいただいた作品が次号に掲載され、そこから何度か掲載していただいて、その2年後くらいに初めての本が出版されました。

 私は『JUNE』と『BL』というのは少し違うものだと思っています。『JUNE』は書き手が自分の描きたいものをひたすら追求するジャンルで、苦しい気持ちや生きづらい気持ちを抱えた女の子達の逃げ場所だったり、男女間の恋愛に夢を見られない子たちが、架空の男性同士の恋愛の中で自分を解放するような部分もあったと思うんですね。BLはエンターテイメントとしてあくまでもハッピーエンドで、読者さんをわくわくどきどきさせるものが主流です。

 『今宵、天使と杯を』という作品なのですが、幸いなことに『JUNE』編集部の方の口利きのおかげで、クリスタル文庫というところから出版していただくことになりました。一度絶版になりましたが、そのあともSHYノベルズさんから出し直ししていただきまして、古い作品ですけれどいまだに感想をいただいたりしています。

Q.先生が仕事上で作品に影響を受けた人物や作品などがありましたらお教えください。

 BLのようなジャンルに芽生えた経緯は、10歳くらいのときに従姉妹のお姉さんの部屋に漫画がたくさんあり、それに出会ったことです。萩尾望都先生の一連の名作である『トーマの心臓』や『ポーの一族』などです。そのころは『なかよし』や『りぼん』などの普通の可愛い少女漫画しか知らなかったので、少年同士の友情や愛情のような複雑な話を初めて読んで、すごくときめいたのを覚えています。

 女の子よりも男の子を主人公にした話のほうが面白いことに気づいて、そういうものをあえて探して読んでみようと思い、それからは白泉社の『花とゆめ』や『LaLa』を愛読してました。そのふたつの雑誌は少女漫画雑誌なのに、当時は少年や男の人が主人公の漫画が多かったんです。といってもBLではなくて友情+αくらいの感じなんですが、とても面白くて中学生くらいまで夢中で読んでいました。

 小説だとやはり栗本薫先生ですね。小学生のころから小説は好きで、図書室に置いてあるSFや推理小説をたくさん読んでいましたが、BL的な小説と最初に出会ったのは雑誌の『JUNE』でした。姉が友達に借りていたのを読ませてもらったんです。表紙が竹宮惠子先生で、栗本薫先生が小説を書かれたりしていました。『花とゆめ』や『LaLa』とは違って、がっつり男性同士の恋愛が描かれていてとても衝撃的でした。

 そのうち栗本薫先生の『翼あるもの』という小説と出会いました。芸能人のスターが主人公なのですが、下巻はそのスターのライバルで、すっかり落ちぶれてしまった歌手の青年が主人公でした。その下巻が非常に切なかったんです。初めて小説を読んで号泣したという思い出があります。

 栗本薫先生は若くして江戸川乱歩賞を受賞され、ミステリーやSFなど幅広いジャンルで活躍されていましたが、当時中学生だった私はどういう作家さんなのかまったく知らなくて、てっきり男性同士の話だけを書く作家さんだとかってに思い込んでいました。そしたら一般の本もたくさん出されていて驚きました。こんな面白い小説を書く作家さんの本なら読みたいと思い、『ぼくら』シリーズ、『グイン・サーガ』、『魔界水滸伝』などを読みあさりました。

 10代の頃は栗本先生の作品にとても影響を受けましたね。小説の面白さや文字だけで世界観を創りだせることに感動しました。

Q.漫画や小説などで初めてボーイズラブ的に萌えを感じた作品をお教えください。

 最初に読んだのは、萩尾望都先生の『トーマの心臓』の原型と言われている『11月のギムナジウム』です。それを読んで「なんて面白いんだ!」と感動しました。そこから萩尾望都先生のいろいろな作品を読むようになりました。物語を作る力やキャラクターを魅力的に作る力が素晴らしいと思いました。なにを読んでも引き込まれるというか。子供のときに作品を読んで影響を受けた人が、いまだにバリバリの現役でご活躍されているというのは、本当にすごいことだと思います。私も萩尾先生を目標にして長く頑張りたいものです。

 ほかの作家さんでしたら、さきほども言いましたけれど『LaLa』が好きで、当時連載されていた成田美名子先生の『エイリアン通り(ストリート)』や『みき&ユーティ』という作品ですね。男の子同士の友情の話ですけれど、とても好きでときめきながら読んでいました。あとは木原敏江先生の『摩利と新吾』という大正時代の学生ものや、聖徳太子を主役にした山岸凉子先生の『日出処の天子』などですね。毎月楽しみで発売日には自転車を漕いで買いにいっていました。田舎であまり本が入荷されなくて、買いそびれるともう手に入らなかったりするので必死でした。

Q.先生が小説家になってから職業柄、日常で無意識的にやってしまうことってありますでしょうか。

 いつか使えるネタになるかもと思って、新聞の記事を切り抜いたりネットのニュースをメモにとったりしています。あとは電車や喫茶店なんかで、周りの会話が面白ければつい聞き入ってしまいます。自分の私生活でもなにかあると「これはネタになるかも」と思ってしまうのが職業病ですよね。いつもネタを探しています。

 ですが漠然と集めたものは意外と使えないんですよね。結局、書くものを決めてから集めたネタしか使えなかったり。でもミニ知識を増やしておくのはいいことです。ストーリーとは関係がなくても、博識なキャラクターの台詞として使えたりするんです。『DEAD LOCK』という小説に登場する犯罪学者のロブ・コナーズはやたらと格言とか言う人物なので、いい言葉があったら書き留めています。