玉樹真一郎
本ではスーパーマリオブラザーズを題材にして、「つい」を引き起こす体験デザインを解説されています。その中で、マリオをクリアするための行動原理として、「右に行く」ということが一番重要な項目でした。それはプレイヤーが画面を見てすぐに判断できますし、「つい」右に進んでしまうデザインになっている。一方で最近のゲームには、画面を見てすぐに「このゲームむずかしそうだな、なにをすればいいかな」と感じることが多いような気がしています。 そこで質問なのですが、「つい」を生み出す方法には、どんなものがあるのでしょうか。また、「つい」という言葉と、そのゲームの「目的」はかならずイコールになるのでしょうか。
スマホゲームはまずインストールをして、起動して、画面を見て、このタイミングで「よくわかんない」とお客さんに思われてしまうと、恐ろしいことにあっさりアプリを消されてしまいます。それを回避するための方法としては、『スーパーマリオブラザーズ』のように、見ただけでなにをすればいいのかわかるというのが当然ベスト解だと思っています。
『スーパーマリオブラザーズ』は一言も使わずに世界中の人に同じことをさせる力があるすさまじいデザインです。
一方で、マリオ的な「見ただけでなにをすればわかる」設計以外にも、たくさんの人々に安遊んでもらう方法はあると思います。たとえば『パズル&ドラゴンズ』というスマホゲームが流行りました。そうすると、『パズル&ドラゴンズ』に関して理解度の高いお客さんが世の中にたくさんいるので、『パズル&ドラゴンズ』をマネしてしまえば良いという話です。すでに『パズル&ドラゴンズ』がルールを説明しているので自分たちは説明しなくても、画面を見せるだけで理解のある人にはなにをすればいいのかわかります。クエストというところにいけばストーリーが進みますし、ショップというところをタップすれば買い物ができたりガチャが引けます。なんとなくわかってもらえるんですね。
しかし、このやり方だとマーケットの範囲が『パズル&ドラゴンズ』を知っている人にしぼられてしまいます。商売の上限が決まってしまうんですね。このようなアプローチもあってはいいとは思いますが、せっかく手間ひまかけて作ったものの成功の上限が定められているというのは、少しもったいないですよね。
もうひとつのアプローチとして、ゲームにストーリーを盛り込むことがあげられます。愛する人が殺されて復讐の旅に出るみたいなストーリーを知らされて、あぁそういうことか、仇を討てばいいんだな、ということがわかる。一応、やるべきことや目的はお客さんにわかってもらえます。しかしその目的は、「仇を討つ」という抽象的なもの。
なにをタップすればいいのか? 今なにをすべきなのか? というところから、すごく距離があります。そういった意味では、ストーリーを盛り込むことは非常に有用なアプローチではあるけれど、やはりマリオには敵わない。やはり『スーパーマリオブラザーズ』のようにどんな状態でもパッと見た瞬間に「こうすればいい」とわかるところまで持っていくことがベストかと思っています。
ちょっと実験してみましょう。これを見ていただけますか?(メジャーを取り出すが、それがメジャーであることは一見わかりにくい)
今みなさんは、私はなにも言っていないのに「これはなんだろう?」と懸命に考えました。私は「これを見ていただけますか」としか言っていません。けれどみなさんはこれがなにかを考えました。目の前にあるモノはなにか、そしてこれは自分の人生とどんな関わりがあるのか、という問いを立て、そして解くことは、もはや脳の本能のようなものです。無意識に解こうとしてしまうものです。人間であり、この脳みそが存在する以上、必ず解きたくなる。これほどに我々の脳みそは、目の前のモノはなんなのかを強く理解したがっています。
「なんだこれは?」 と考えることは、特に意識的にやろうとしたことではありません。つまり「つい」です。「つい」は、もはや本能です。考えることも本能で、我々はそれをやめることができずにいる。しかも、モノがわかるとニコッとしますよね。おもしろいですし楽しいです。考えて、わかるとうれしい、という仕組みがすでに脳みその中に埋め込まれているんですね。これを活用しない手はありません。
この仕組みをうまく駆動させることができるコンテンツが「つい」というコンテンツですし、ゲームはそれを達成していると考えています。ゲームそのものはおもしろくなくて、本当におもしろいのは脳みそなんです。脳みそが自分の予想を当てるという体験そのものがおもしろいのです。このおもしろい体験を頻繁に発生させられる装置がゲームだったり、あらゆるコンテンツだったりするのだろうと思います。
現実世界で暮らしている時、たいていのことは予想できます。しかし、その予想は毎日同じことばかりで代わり映えしませんし、予想があたってもおもしろくないものばかり。逆に言えば、あたったらおもしろいだろうなぁと思えるような予想は、そもそもできない。現実世界は複雑すぎるんです。一方ゲームは、現実世界よりも予想が当たります。そういう風に作っているからです。だから、ゲームは現実世界よりもおもしろくなる。コンテンツは、人間が「つい」考えて、先を予想してしまい、当たると嬉しい体験が現実より濃くなっているように作ります。このようにしておもしろいコンテンツがでるわけです。これが「直感のデザイン」である「仮説・思考・歓喜」ということです。『スーパーマリオブラザーズ』の「マリオ」を右に歩かせただけで「わー! 右に歩いたすごーい!」っていう人はいないですよね。右に歩くこと自体がおもしろいのではなくて、予想が当たってることがおもしろい。こう考えるとだいたいのコンテンツのおもしろさの仕組みが読み解けるのではないか、思っています。