玉樹 真一郎
任天堂在職当時に『Wii』に携われていた頃の内容が、玉樹さんの最初の著書『コンセプトのつくりかた』にありました。Wiiはどんなところにこだわってたんでしょうか。
格好つけるわけではありませんが、こだわっていないところはひとつもありません。
「コンセプトはなんですか」とはの話なのですが、コンセプトとはあらゆる仕様を決めるときの根っこの理由のことですね。たとえば「Wiiはどうしてコントローラーを『Wiiリモコン』と呼ぶんですか?」という疑問の答えも、コンセプトです。コンセプトはあらゆる仕様の理由となるものです。
『Wii』は任天堂の戦略であるところの「ゲーム人口の拡大、年齢性別、ゲームの経験の有無にかかわらずだれにでも楽しめる」ということを実現したい。という大きな目標がありました。そうなると、家族みんなで楽しんでほしい。家庭の中で特に「ゲームってイヤだな」と思っているお母さんに楽しんでもらわなければ、私たちは負けです。なんとしてでも、お母さんでも楽しめる、お母さんに嫌われないものを作らねばならなりません。
お母さんでも触れる家電ってどんなものがあるだろう、と考えるとお母さんはあまり機械は触りませんね。でもテレビのリモコンなら触っています。だから『Wii』も『リモコン』でやる。コンセプトを実現したいだから○○なものをつくりたいだから○○、だから○○、だから仕様はこうする。そんな流れを構築しながら、プロダクトを作っていくんですね。あらゆる仕様を、コンセプトを基礎にして論理的に説明できなくてはなりません。
コンセプトから導けない仕様というのは、企画屋の怠慢です。業界の慣習や打算や好みで決めた仕様は徹底的に排除しました。当然私ひとりで作っていたわけではないですし私が最終的に決めた仕様なんてたかが知れていますが、最終的には全ての仕様を論理的に説明できる状態にまで持っていきました。先程の「こだわっていない部分はない」というお話は、そういう意味です。
「リモコン」の登場でゲームの在り方が変化しました。また、『プレイステーション5』『Nintendo Switch』についてどのようにお考えでしょうか。
今私の手元には『プレイステーション4』のコントローラーがあります。これは両手で使うものです。ボタンは右側に4個、左側にも4個、上側に4個、そして2本、なんだかグニャグニャ動くスティックがあります。オプションボタンにシェアボタン、タッチパッドまであります。
これを扱う技術を、お客さんは『ファミリーコンピュータ』登場から『Wii』登場まで20年間練習し、勉強し続けています。その結果、複雑なコントローラーをうまく扱える人が出てきましたし、そういうお客さんのためにコントローラは進化してきたとも言えます。一方で、今このタイミングでゲームを初めて遊ぼうとする人から見ると、どうでしょうか。いきなり20年進化し続けたコントローラー、複雑なコントローラーを使いこなせるでしょうか。
作る側はものすごく技術の推移をして投資をして、画期的なコントローラー、画期的なゲームを作ろうとしています。しかし、新しく入ってきたお客さんは歴史的経緯をなにも知らない状態なので、作る側がものすごい投資をしていてもこれが良いモノだとは気付けません。投資に比べて効果が薄くなるということです。クレイトン・クリステンセンという経済学者が「イノベーションのジレンマ」という言葉で表現しましたが、平たく言うと、新しい人が入ってこない状態なんです。
そこで任天堂は、両手で持つ複雑なコントローラーをうまく使うとゲームが楽しめるという原則自体を捨て去ろうとしたんだと思います。その結果『ニンテンドーDS』と『Wii』が生まれました。『ニンテンドーDS』は複雑なコントローラーは触らなくていい代わりにペンで書くようにサラサラっと遊んでください、ということ。『Wii』だったら『Wiiリモコン』で日常的な身振りをすればそのままゲームが遊べますよ、ということ。ゲームもコントローラーも新しくすることで、上手な人と下手な人の間の差をリセットしてしまいました。だからみんなが遊べるゲームになりました…というのが根っこの考えです。
その結果、ゲームは遊ばないけれどテニスは得意なお母さんや、コントローラーの操作は苦手だけど車の運転は得意なお父さんが、子どもにゲームで勝ったりしますね。これまでは大人は子どもにゲームでは勝てませんでした。勝てないものを楽しめる人なんていないもので、だからゲームは子どもしかやらないものでした。だけど大人が勝てるとなると、大人もうれしいし子どもに教えたくなります。マーケットも広がるし、お客さんとのコミュニケーションも広がるし、世代の壁も壊せました。
そういうものを作った会社に在籍することができただけで、本当に幸せだと今でも思います。自分が作ったというよりは「ホントスゲー!」という感じがいまだにあります。
もうすぐ『プレイステーション5』が発売されますが、率直に楽しみです。遊びたいです。任天堂とはアプローチは違うのかもしれませんが、ゲームというモノができる可能性、ゲームのできる範囲を広げるという意味では本当に『プレイステーション』というのはすさまじい仕事をされていると思います。普通にファンですし、買います。
昔は会社名がソニーコンピュータエンタテインメント、略称はSCEだったんですが、それをソニーインタラクティブエンタテインメント、SIEに変えられているんです。今回の『プレイステーション5』は「没入感」というキーワードを掲げています。コントローラーの感触に工夫したり、ローディング時間を短くするという一見地味なところにものすごくお金をかけていて、ひたすらそのゲームの中に自分が没入してしまう感じを愚直に作っている、という印象です。メディアとお客さんが相互作用することで今までにない体験を生み出す。そこのところを根っこから考えていらっしゃるんだなぁと思われて、すごく好きです。
では『Nintendo Switch』はどうかというと、『Nintendo Switch』はどんなときでもゲームをなんとなく遊べる、日常の中にゲームが溶け込み、デジタルと非デジタルの間をあいまいにするものなので『Nintendo Switch』も、ものすごく大きな仕事をしていると思っています。
最近はいろいろなゲーム機やスマートフォンがすべて一緒です。あらゆるデバイスが、デジタルが存在する前提の世の中で、それの正常なかたち、理想的なかたちというものを実現しようと本当に苦労されて日々研究開発されています。おもしろいものを作り続けてくれているという気がしています。
人類は今、情報革命の真っただ中なんです。農業革命があって、産業革命があって、情報革命は3つめの革命です。まだ人類は情報技術の1割も引き出せていないのではないかなという気がしています。今このタイミングになって、やっとDXとか言っていますよね。デジタル前提で人間社会全体をデザインしていこうという考え方にいきつくまでに、人類は何十年とかかりました。 もっともっと世代が代わるごとに、想像もつかないようなおもしろいことがたくさんでてくるんだろうなと勝手にワクワクしています。